七草粥を食べるのはいつ?その由来と冬に春の七草を食べる謎

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こんにちは。ホシ姐です。

昨日スーパーに行ったら、入り口を入ってすぐのところに「春の七草」がズラっと並んでいて、思わず買ってしまいました。

 

七草粥かあー、風流ですなあ。

 

毎年食べようかなーと思うんですが、なんだかんだで売り場をスルーしたり、フリーズドライのものを買って結局料理しなかったりして、一度も食べずに現在にいたります(笑)。

しかも夫がね、「あんなのただの雑草だろ」って言うんですよ。そんな身も蓋もない…(汗)。

彼的には雑草に200円も300円も払うのは嫌みたいなんですが、私に言わせれば、あれはきちんと七草粥用に育てられたエリート達です!クリーンな環境で、手をかけられて育ったのですから、お金をかけたっていいんです!

何より、古き良き風習を生活に取り入れて季節の移ろいを楽しむって良いじゃないですかー。私は好きだなあ。子供に伝えていきたいなと思うし…。

ということで、今日は七草粥についておおくりしてみたいと思います!

 

 

1.春の七草と七草粥の由来とは

1.春の七草とは?

私がスーパーで購入した大分県産「春の七草」のパッケージを見るに、入っている草たちはこうです↓

•せり

•なずな

•ごぎょう

•はこべら

•ほとけのざ

•すずな(カブ)

•すずしろ(ダイコン)

どれ、パッケージを開けて仕分けしてみようか。

そしたらこうなりました。

 

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爆笑!!

 

なんですか、この差は…。とても恣意的なものを感じます!

 

緑の葉っぱが左からせり、ほとけのざ、はこべら、ごぎょう、なずな。白いのが左からすずな、すずしろだと思うのですが…

せり、ほとけのざ、ごぎょう、なずな→1本ずつ。

はこべら→もっさり(笑)。

うーん、上手いこと商売やってる感じがしてきました。

 

 

2.七草粥の由来。いつ食べるものなのか?

 

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では、七草粥の由来についてはどうなんでしょうか?

「春の七草」のパッケージにはこんなことが書かれていました。

古い中国の習慣が日本に伝わり、醍醐天皇の延喜11年(西暦911年)から正月7日に七種の若菜を調進することが公式化され、「枕草子」にも「七日の菜を六日に入がもて騒ぐ」の記事があるように、七日の朝七草粥をたいて、無病息災を祈る習わしができました。

 

すごい昔からあるんですねー!!正月の七日に食べるんだ…。今日は1月6日だから、明日ですね?

天皇により公式化されるとは余程のことだと思いますが、一体どうして醍醐天皇は七草を食べることを公式化したのでしょうか?七草を食べると何か得でもするんでしょうか?

 

 

その理由はパッケージに書かれている「古い中国の習慣」にありました!

 

 

中国六朝時代(222年 – 589年)の揚子江中流域の年中行事を記した書物「荊楚歳時記」には、「人日」(人を殺さない日)である旧暦1月7日に、「七種菜羹」という7種類の野菜を入れた羹(とろみのある汁物)を食べて邪気を払い、無病を祈る習慣が記されています。当時の七種菜羹は粥というよりはスープ状のもので、今私たちが食べている七草粥とは少し違った食べ物だったようです。

ふーむ、どうやら七草を食べて、健康に過ごせますようにとの願いが込められているようです。醍醐天皇は健康への意識が高かったようですね。

あの方丈記で有名な鴨長明の「四季物語」には「七種のみくさ集むること人日菜羹を和すれば一歳の病患を逃るると申ためし古き文に侍るとかや」とあります。鴨長明も七草粥ではなくて、七草とろみスープを食べていたのかもしれません。

 

では、七草を粥として食べるようになったのはいつなんでしょうか?ここからは探偵ホシ姐の推理です(笑)。

 

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庶民の間に米食が普及したのは江戸時代、脱穀技術が発達し、徳川吉宗の享保の改革によって米の生産量が飛躍的に伸びてからのことです。それまではお米は高級品。上流階級の人たちしか食べられなかったと聞いております。日本に古くからある、冬の終わりに雪の間から芽吹く若菜をつむ「若菜摘み」の習慣と、人日(正月の7日)を祝日に制定されたこと、米の普及とが相まって、江戸時代に現在の七草粥の風習が広まったのではないかと思います。


ホシ姐の実家には江戸時代の人々の暮らしについて書かれた絵本があるのですが、それには「七草粥売り」が登場します。7日に粥入り鍋を2つ、棒から吊り下げて売るのです。
人気があったらしい。


いやあ、でもねー。冷えたお粥は美味しくないですからね、どうなんでしょ…?

タイムマシンに乗って保温付きジャーを持ち込んだら、バカ売れしただろうなと想像いたします(笑)。

 

 

2.冬なのに春の七草を食べる謎。

ところで、お正月って思いっきり冬ですよね?どうして真冬に春の七草何でしょうか、不思議だと思いませんか?

江戸時代は今よりもっと暖かかったのかな?

なんて。

いやいや、違います。

実は、江戸時代の人たちは旧暦の1月7日に七草粥を食べていたんです。
旧暦の1月7日は今の2月頃になります。今年2016年で言うと、2月14日にあたるようです。 
東北・北海道は無理でも、東京あたりじゃ春の七草が取れる程度に暖かいんじゃないでしょうか(笑)。

 

日本では明治5年に旧暦から新暦へ、暦が変更になりました。しかし、正月の7日に七草粥を食べるという風習はばっちり残ったので、春の七草が生えていない真冬に七草粥を食べることになってしまったのですよ。

まあ、確かに七草粥だけ旧暦に食べるようにすると、おせち料理の消化で疲れた胃を休めるまで、かなりインターバルが出来てしまいますね(笑)。一年の無病息災を願って食べるにしても、年明けから1ヶ月以上経っているので間の抜けた感じがいたします。

 

七草粥に新年への願いが込められている以上は、春の七草というネーミングに疑問を抱きつつ、真冬のお正月に食べるのが正解!と言えそうです。

 

良いんですよー、現代にはハウス栽培があるんですから。

 

 

3.まとめ

ということで、今回のまとめです。

  • 春の七草とは、せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな(カブ)、すずしろ(ダイコン)である。
  • 七草粥は1月7日に食べる。
  • 七草を食べる習慣は、中国の古い習わしを醍醐天皇が取り入れたことから始まった。
  • 七草をお粥に入れて食べる習慣は江戸時代になってから。
  • 真冬に春の七草を食べるのは、旧暦の風習を新暦を採用している現在になっても無理矢理やっているからである。


今回は七草粥の由来についてお送りしましたー!

 

調査を進めると、七草それぞれに意味がありました。栄養や薬効があるものも!春の七草に見る日本人らしさとは?それぞれの草に意味があった!

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